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大阪高等裁判所 昭和35年(ラ)130号 決定

抗告人 野村銀治 外一名

利害関係人 亡白峰鉄夫

主文

原審判を取り消す。

利害関係人亡白峰鉄夫が昭和十八年二月頃抗告人両名に対し、自己を抗告人両名の養子とする養子縁組の届出を委託したことを確認する。

理由

抗告人等は主文同旨の裁判を求め、抗告の理由として、原審判は事実誤認をしているというのである。

そこで、抗告人等主張のごとき養子縁組届出の委託があつたかどうかについてみるのに、本件における各証拠資料を綜合すると、次のような事実が認められる。

1  利害関係人白峰鉄夫は、大正十年八月二十八日白峰シヤウの私生子として福岡県下に生まれ、幼にして母をうしなうとともに他家に預けられて小学校に通うなど、不遇な境遇に育つた。抗告人等は大阪市西区南堀江下通一丁目一一番地で洋服業を営んでいたが、同じ町内の人の世話で、昭和九年五月頃から鉄夫を引き取り、じらい家業を手伝わせて洋裁職を仕こみながら青年学校の課程を終了させ、わが子のように養育する一方、鉄夫も抗告人等を「お父さん」「お母さん」と慕うていた。

2  鉄夫には、やはり父なし子の兄正雄がいたが、ほとんど往き来はなく、また、白峰ヨシという伯母があつたが、九州の炭礦町で仲居などをしていて文通もない有様であつた。鉄夫は、このようにほとんど身寄りもなかつたので、徴兵検査後の昭和十六年九月には抗告人等の当時の右住所に分家届出をなした。

3  鉄夫は、昭和十七年一月久留米の部隊に現役入隊したが、右入隊に際しては、抗告人等方で実子同様の歓送を受け、その後満州方面へ出征してからも、抗告人等に陣中便りを送り、抗告人等からの慰問激励がつづけられていた。

これらの各事実に、抗告人野村銀治に対する原審での調査の結果、抗告人両名に対する当審での各審尋の結果ならびに右審尋の結果に徴して成立の認められる甲第一号証をあわせ考えると、鉄夫は成人するにつれて私生子生まれであることを非常に肩身の狭い思いをし、右現役入隊に際しても、さらに満洲へ出征していた昭和十八年二月当時においても、抗告人等に対して、自己を抗告人等の養子とする養子縁組届出を委託していたことが認められる。もつとも、鉄夫の戸籍の記載によれば、鉄夫は入隊後間もない昭和十七年三月四日付で前記白峰ヨシとの養子縁組届出がなされていることがわかるけれども、右事実は上記認定を左右するに足りない。また抗告人野村ふじ子に対する原審での調査結果には、一見右認定にそわないかのごとき発言がみえるけれども、抗告人等に対する当審での各審尋の結果に対比すると、右の発言は未だ意をつくしていないうらみのあることがうかがわれるから、その発言をとらえて上記認定の反証とすることはできないし、その他に上記の認定を動かすに足る証拠はない。

そうすると、抗告人等主張の養子縁組届出の委託についての確認を求める抗告人等の審判の申立は理由があるから、これを却下した原審判を取り消したうえ、家事審判法第八条、第一四条、家事審判規則第一九条第二項を適用して、主文のとおり審判に代わる決定をする。

(裁判長判事 沢栄三 判事 木下忠良 判事 斎藤平伍)

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